実況芸

SESSION 10

高田漣清野茂樹

丑年生まれの年男同士としてピンときたんです。

清野さんの実況イベント、今回は記念すべき10回目なんです。高田漣さんはこのシリーズについて、事前にご存じでした?

高田漣: Twitter上で見たり、DMでもお誘いをいただいたりしていて、なんとなく知ってましたね。「清野さんがなんかおもしろいことやってるな」とは思ってましたけど、まさか自分に声がかかるとは思ってなかった(笑)。

清野茂樹: まるで不幸の手紙ですよ、このオファーは!(爆笑)

高田: 僕がたまたま告知を見かけたのが、浪曲とか落語とか話芸との対決が多かったんです。ミュージシャンともやっているというところまでは見れてなかったので、だからこそお誘いが来てびっくりしたんですけどね。でも、過去のラインナップを見たら、僕の仲間のミュージシャンも出演していたので、そこでようやく合点がいった気がしました。

清野さんとしては、今回なぜ漣さんを相手に指名したんですか?

清野: 高田漣さんは素晴らしい腕前のギタリストでありシンガー・ソングライターです。こういう特殊なイベントに誘っていいのかなというのは非常に悩みました。でも、これまでに9回このイベントをやってきて感じたことに、やっぱり信頼関係がいちばん大事という実感があるんですよ。それさえあれば違うジャンルの人となにかをやっても、お互いにプロとしてのキャリアを積んだ者同士ですから、最終的にどこかに着地するんですよ。なおかつ、その着地点がどこなのかわからないからお客さんは結構楽しめるというのはあると思うんですよね。そこで、僕にとって信頼関係があるミュージシャンとして、高田漣さんを考えたんです。もうちょっとあとにとっておこうかなという気持ちも正直ありましたけど、「今年は丑年だしな」となんとなく思ったこともあり(笑)。

清野さんも漣さんも丑年生まれのおない年でしたね。

高田: 年男なんですよ(笑)。

清野: そこでピンときたんです。こういうのは思ったときにやったほうがいいんだなと。それが発端ですね。

いま、信頼関係があるとおっしゃいましたけど、おふたりは知り合ってどれくらいなんですか?

清野: 7、8年くらいですかね? 最初は僕のラジオ(『真夜中のハーリー&レイス』)のゲストだったと思います(2013年10月8日)。そこからの縁で、番組の公開収録イベント(2014年6月22日、吉祥寺キチム)にも出ていただいて。あのときは、オカダ・カズチカ、高田漣、さくら学院の田口華という顔ぶれで。

高田: そうそう、そうでした。

清野: いま考えるとちょっとすごいメンツですよね。オムニバスにもほどがある。

高田: あの公開放送では、僕はCHAGE and ASKAを歌いましたね。

清野: 「狂想曲」じゃなかったですか?

高田: そうです(笑)。

清野: あれはいい曲ですよね! 事前に「プロレスに絡めた曲とか演奏してもらえないですか?」みたいな相談をした気がします。

高田: そうそう。『ワールドプロレスリング』のオープニングテーマ曲(1987年10月から1988年3月)だったから。

清野: エンディングテーマは久保田利伸さんの「Missing」が使われてたりしてました。以前はテレビ朝日のスポーツテーマ曲が使われてたんですけど、その頃からタイアップ曲でJ-POPが流れるようになってた時代だったんです。1987年は僕らがちょうど中学2年の頃で、漣さんから「あの曲をやろうと思うんです」と言われて、「それいいですね!」とやっていただきました。

高田: 猪木さんのテーマ曲「炎のファイター」のシングル盤のB面に入っていた、倍賞美津子さんの歌入りバージョン「いつも一緒に」もやりましたね(笑)。

清野: そうだ! あれは秀逸でしたね。その番組イベントがあって、その夏には漣さんが所属する音楽事務所TONEの10周年イベント〈10TONES〉(2014年7月27日、日比谷野外音楽堂)でしたっけ? そこに僕もMCとして参加しましたし、2015年には高田渡トリビュートのイベント〈高田渡トリビュートライブ“Just Folks”〉(2015年4月18日、東京グローブ座)でも井上陽水さんと高田さんのトークの進行役をやらせてもらいました。そういう接点が続いてたんです。


「真夜中のハーリー&レイス4周年記念興行」で共演した2人(2014年6月22日)

お互いに“古舘イズム”を受け継いでいた!

そういうふうにご縁が続くのは、やっぱり意気投合したから?

清野: そうですね。それに、僕とおない年のミュージシャンってそんなにいないんですよ。

高田: わりとはざまで、少ないんですよ。ひとつふたつ上か下の世代はすごく多いんですけどね。僕の世代はDJとかは結構いるんですが、楽器方面のプレイヤーに行った人たちがあんまりいない。

清野: やっぱりおない年の人っておなじ時系列で育ってるから、分野は違っても会うと話が盛り上がるじゃないですか。我々の年代はプロレスが好きな人も多い。当時プロレスはサブカルチャーというよりメインカルチャーでしたからね。TONEの社長さんもプロレスがお好きだし。

高田: 子どもの頃は、プロレスを見るのが当たり前のようでしたよね。テレビで金曜夜8時台にやってましたからね。巨人戦か、プロレスか、みたいな時代でした。特に僕は新日本プロレスがすごく好きで、どっぷりハマってたほうです。

このイベントの対談でプロレスの話が出ると、清野さんは猪木イズムというか、古舘(伊知郎)イズムを受け継いでいるという話になりますよね。異種格闘技精神とか。

清野: 僕も夢中になってプロレスを見てるなかで、古舘さんの実況してる姿を見て、「この人と同じことやりたい!」と思ったんです。結果、ありがたいことにプロレスの実況という古舘さんとおなじことはできている。新日本プロレスのリングサイドにもいることができてます。だけど、影響を受けたのという意味では、古舘さんがストレンジな題材で実況をよくやっていたんですよ。 『水曜スペシャル』で首狩り族の運動会とか、『題名のない音楽会』 の様子を実況するとか。ああいうのに僕もすごく影響を受けていて「こっちもやんなきゃな」という気持ちなんですね。というか、その後の古舘さんがそういうことをあんまりやらなくなったので、僕が勝手に代わりを務めているという気持ちですらあります。

そういえば、お正月にたまたま見た番組で、清野さんが牛丼の盛り付け競争を実況している番組を見ましたよ。

清野: はい、あれも古舘イズムの実践ですから。

高田: 今思い返すと、僕も小学6年生の学芸会みたいな催しで「プロレスをやりたいから」って言われて誘われて、古舘さん役で実況をやりましたよ。

清野: えー、すごい! それ初めて聞きましたよ!

なんと漣さんも実況をしていたとは!

高田: レスラーも神格化されてたけど、同時に古舘さんの話芸も込みでひとつの伝説になってましたから。明らかにそこに影響は受けてましたね。

ペダルスティールギターの組み立てを実況してみよう!

そんな信頼関係のあるおふたりが、今回はどういう対決を?

清野: そうですねえ。漣さんからは「ペダルスティールギターだったらいいですよ」と返事が来たんですよね……。正直言って、僕はその返事の意味がいまいちよくわかってないんです(笑)。「いいですよ」という言葉尻だけをつかまえて、そっちのほうに気持ちがいってましたね。なんでペダルスティールだったらいい、って返事だったんですか?

高田: 録音の現場に行ってスティールギターを組み立てたりバラしたりする工程を見てるとき、ミュージシャンからも「へー!」って声が上がるんですよ。だいたいみなさんは組み上がったギターを弾いてる状態しか見たことがないし、収納のされ方や裏側がどうなってるのか、どうやって組み上げられるのか、どうやって演奏されるのか、あまりに知られてない。もし僕が清野さんの立場だったら、この工程は実況しがいがあるだろうなと思ったんですよ。

清野: あー、なるほど。こういうお題が出てくると、僕もやりやすいですね。実況の仕事って結構、事前の下調べが半分と、現場の即興が半分なんです。だからペダルスティールギターの組み立てって、実況のフォーマットに当てはまる。僕はその楽器について全然知りませんでしたが、数日前に御茶ノ水のイシバシ楽器に下調べに行ってきたわけですよ。そしたら、ペダルスティール担当の店員さんが嬉々として1時間以上にわたって説明してくれて。基礎知識を教えてもらい、いろいろメモしてきました。

高田: あの人はすごいですよ。日本でも専門の方は珍しいんです。

では、そこで得たうんちくを交えながら組み上がるまでを清野さんが実況する?

清野: はい。組み立てる前、組み立てている間はもちろん実況する。演奏している間はどうするか? そこからは、またこれから相談なんですけどね。

ギターソロを実況する、って感じですか。

高田: 今までの音楽対決だと、そこまではしてないんですよね?

清野: (ピエール中野の)ドラムとの対決では、ドラムソロで表現する「どんぐりころころ」を実況しましたね。でも、あのときは実況の声とドラムの音量に差が相当あって大変でした。サウンドチェックのときにスタッフがみんな顔面蒼白になっていきましたから(笑)。でも、トライ&エラーはつきものですからね! 漣さんも僕もこの仕事を20年以上やってきて、もはや、大きな失敗をすることってあんまりないじゃないですか。やっぱり「失敗するかもしれない」という状況に身を置いてやりたいなという気持ちはあるんですよ。

高田: そこは急に選手側の気持ちになるんですね(笑)。

清野: なんかね、あるんですよね!

高田: たとえば巌流島で試合をやるとして、勝ち名乗りをあげたほうが勝ちとか、最低限のルールがあるじゃないですか。でも、このイベントは見知らぬ同士がリングに入ってルールがない状態で戦うのに近いんでしょうね。

清野: アートなのかなあ(笑)。受け取る側がどう受け取るか、みたいな。

過去の9回はぎりぎりエンタメとして成立してましたけどね。

清野: してたと思うんですけどねえ。あと、正直な話、ミュージシャンが年代やジャンルを超えてセッションする姿には憧れます。しゃべりの世界にはそういうのないですから。ミュージシャンを積極的にお誘いしてるのは、僕もそういうのを真似て楽しみたいという意図も結構あるんです。

こんなにどうなるかわからない企画ってないですよ。

過去のミュージシャン対決とも似て非なるものになりそうですね。

清野: 話を戻して、あらためて言いますけど、みんなが知らないペダルスティールギターという楽器について解説のお手伝いをするという意味なら、実況が参加する意義は全然ありなんです。スポーツ中継に実況があるのもそういう役割じゃないですか。実際、漣さんとやることが決まったことを知人とかに伝えましたけど、一般の人は誰もペダルスティールギターのことを知らないんですよ。だから、この楽器を知らせるお手伝いをすることにはすごくやりがいを感じます。理想を言えば、この実況を撮影した動画を「ガイダンス・ビデオとして見てください」って普及させられたらいちばんいいですよね。

でも、そこはおふたりともプロレス脳が備わっているので、もしかしたら、そのままの教則ビデオにはならないかも。乱入したり、反則したり。

高田: そうですね、そのほうがおもしろいかも(笑)。それに清野さんが実況してくれることで、僕らも「こういうところをみんな不思議に思うんだな」みたいな発見があるような気もします。

清野: だから、目の前で行われている漣さんの動きを実況するのはもちろんですけど、その背景にある歴史や楽器の成り立ちも説明するつもりでいるんです。音楽のライブで説明することってあんまりないじゃないですか。でも今回は僕が説明をしていくのを聞いてもらおうと思ってます。

イシバシ楽器に並ぶペダルスティールギター

他にもうひとつ企画があるそうですが。

清野: 漣さんのお父さんであるフォーク・シンガーの高田渡さんが70年代に撮影されていた写真が出てきたんですよね。それを写真集にして、漣さんが文章をつけて、十七回忌(没後16年)にあたる4月16日に出版されます(『高田渡の視線の先に-写真擬(もどき)-1972-1979-』)。今回はその写真集から何枚かをひと足早く公開して、その写されてるものを実況していこうと思ってます。できる限り意味のない風景とか「なんでこれ撮ったんですか?」みたいな変な写真がいいな。それが僕なりの高田渡さんへのトリビュートになると思ってますね。漣さんにお父さんの歌を歌っていただくコーナーを設けたいです。そういう真面目なところもあるという構成にするつもりです。

いいですね。実況イベントの10回記念を祝うライブにもなる。

高田: でもね、こんなに雲をつかむような、どうなるかわからない企画ってあんまりないですよね(笑)。

清野: いや、受ける側もすごいと思うんです。毎回本当にそう思いますよ。だって、メリットがなにもないですから! ただおもしろそうだからやる。それだけですよね。あと今回は無観客配信が初めてなんです。アーカイブ期間も2週間ほど設けますし、配信チケットを買ったかた向けの特典もなにかしら用意したいと思ってます。

東京以外にお住まいのみなさんに見ていただける可能性も広がりました。

高田: 逆に、今までこんなすごい顔ぶれの企画を限られたお客さんだけが見てたというのが本当にすごいことですけどね!(笑)そっちのほうが僕にとってはシュールな気がします。

清野: 確かに。本当にそうですね。言われて気がつきました!(爆笑)



2021年2月18日 東京都渋谷区 kuramaejimushoにて収録
司会・構成/松永良平

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